しんちゃん先生のつぶやきブログ

-日々の出来事や想いの記録-

一緒の講義を履修している同級生、後輩たちと楽しい時間を過ごした

shinchansensei.hatenablog.com

 

このお気に入りの講義終了後、ほとんどの受講者でご飯&飲みに行った。

↑の記事に書いた通り、私自身、ネガティブな感情に襲われていたが、そのことを忘れるくらいに楽しい時間を同級生と後輩たちと過ごすことができた。

 

後輩たちとは、普段することが難しいインフォーマルな話で盛り上がった。

後輩男性陣とは「先輩の中で、誰がかわいい?笑」「彼女いるん?」などと、私自身久々の男子トークで盛り上がった。

後輩が急遽企画した「先輩にタメ口どれだけ言えるか選手権」も最高だった。

私のことを普段は「○○さん」と呼ぶ後輩たちが、「○○!」「しんちゃん!」などと呼び捨てをする。

そのうち、「マジでないわ~!」などと肩を組んでくる。

優勝した後輩は、「○○、本当にお前4年生なん!?」と指さしながら物申してきたMくんであった。

(ちなみに、それぞれが帰路につく前、ちゃんと「呼び捨てしてすみませんでした…」などと謝ってくれる後輩たちです^^)

 

後輩女性陣とは、女子トークにお邪魔したり、質問攻めにあったりした。

「わかるわ~」と女子トークにお邪魔したが最後、女性陣の日頃の男性陣に対する不満で溢れ、男である私の胸にはグサグサと突き刺さるものばかりであった。

質問攻めは「彼女いるんですか?」「一途ですか?」など恋愛に関するものばかり。

それに答えるたびに、「え~それは…」って女性の貴重なご意見という名のパンチを食らい続けた。

 

帰宅後は楽しかった2時間が忘れられず、すぐに眠りにつくことができなかった。

そのため、参加してくれた人すべてにLINEを送った。

感謝はもちろん、その人とのやりとりで印象に残っていることや、楽しかったことを勝手ながら伝えさせてもらった。

気づいたころには、午前2時を越えていた。

 

翌日の朝、通知欄は、みんなからの嬉しいメッセージたちで溢れていた。

夏休みを迎えるため、しばらく後輩たちと会うことがなくなる。

また会えることを、またお話しできることを、またご飯・飲みに行けることを、また一緒に学べることを楽しみに、大学生活最後の夏休みを過ごそうと思う。

【反省】授業者としての責任を放棄した

これまで何度か登場している「お気に入りの講義」とは、私たち学生が授業者として、90分の授業をファシリテートする講義である。

教員が選定したテキストを基に、各章(節)を学生一人や二人で90分の授業を担当する。

昨日は、後輩くんと私とが授業者として90分の授業をファシリテートする担当であった。

 

私のこだわりを授業に詰め込みたい一方、後輩くんのこだわりも優先したい。

二人のこだわりを上手く融合した形で、授業計画を立て、授業に臨んだ。

 

しかし、実際の授業では計画通りにはいかなかった。

授業とは、そういうものである。

計画通りにいく授業が〈よい〉授業とは限らない。

 

授業途中、計画の修正が必要だと理解したが、その後私がとった行動は、計画通りに進めようとする言葉がけであった。

そこで、教員の介入があった。

そのとき、私は、教員の介入に対して、「確かに…。そうですね!」と表情を変えずに、その後の展開を教員に委ねた。

しかし、実際は、計画通りに進めようとする言葉がけをしてしまった私自身に失望していた。

普段から、「教師本位の授業ではいけない」などとことばにしているにもかかわらず、いざ、授業者として授業に関わったときに、授業者である自分本位で授業を展開しようとしていた。

 

なぜ、そのような言葉がけを行ったのか。

振り返ってみると、要因は様々あるには違いないが、そのうちの一つとして、「後輩くんのこだわりを実現させたい」と無意識のうちに思っていたのではないか、という考えにたどり着いた。

せっかくの後輩くんのこだわりだから、なんとしてでも、次の展開へと…。

しかし、後輩くん自身、こだわりの展開を捨てる選択をもっていたらしい。

私は後輩くんを「学習者の学びではなく、自身のこだわりを優先する人」と、見誤っていた。

大変失礼な見方をしていた。

 

反省すべきことはこれだけではない。

 

教員が介入した後の私は、授業者として働きかけることを放棄した。

あまりにも、教師本位の言葉がけをしてしまった自分自身にショックを受け、落ち着いて学習者と向き合うことができなくなった。

そして、後輩くんに授業者としての責任を全て丸投げした。

 

授業者である以上、たとえ何があっても、学習者の学びを〈よい〉ものとするために、思考し、判断し、動かなければならない。

 

単位修得後も履修可能である、お気に入りの講義。

今期で4回目の履修、5回目の授業者として臨んだ今回の授業。

何度履修しても、何度授業者を経験しても、たくさんの壁と向き合うことになる。

そのたびに、自分自身のふがいなさを自覚し、苦しく辛い日々を過ごすことになる。

しかし、成長する機会であると捉えなおし、学び続けていきたい。

その先で、本当の意味での〈よい〉授業にきっと出会うことができるはずだ。

ここ数週間の出来事記録

ブログを開く暇がないくらい、ここ数週間忙しい日々を送っていた。

今回は、それらの出来事を簡単に紹介することにする。

詳細は、関連した出来事を綴るときや、時間を確保できたときに振り返りたい。

 

まずは、ゼミに3年生を迎えた。

私個人は、講義等で1年前から関わっていた後輩たちであったが、「ゼミ生として」関わっていく新たなゼミメンバーを歓迎するため、様々な企画を実施した。

 

次に、私のお気に入り講義においてみられた後輩の貴重な経験。

私の過去と重なった後輩の経験。

後輩と特別な気持ちをもって接した1日であった。

私の接し方は、後輩にとって〈よい〉ものであったのだろうか。

 

ポジティブな出来事ばかりに出会えると思っていたある日、自転車の後輪がパンクしていたこともあった。

忙しい日々であったため、自転車屋さんに行く時間を確保できず、実は今もまだパンクしているままである…。

早く自転車屋さんに行かねば…。いつ時間がとれるだろうか。

 

この流れで、かなり大変だった出来事を2つ。

卒論の調査を急遽実施することになり、調査依頼文書の作成等に追われた。

日中は授業やアルバイト、夜は遅くまで文書やアンケートフォーム等の作成に取り組んだ。

卒論関係に追われる中、期末レポートの締め切りも迫っていた。

昨日は、翌日(本日)実施するために必要な配布文書を21時頃まで作成し、昨日中に提出しなければならない期末レポートに取り組んだ。

配布文書は指導教員から修正箇所をいくつか指摘され、結局大学を出るころには、日付が変わっていた。

 

ここ数週間、非常に忙しく大変で疲れる日々であった。

しかしながら、疲れ以上に、後輩と関わることができた楽しさや嬉しさ、自身の関心を追究できる研究の楽しさややりがいなど、それらを十分に肌で感じることができた日々であった。

また、身のまわりの友人や後輩、先生のありがたみも感じた。

「がんばってください!」と応援をくれる後輩。

「がんばってるね」と差し入れをくれる友人。

「無理しないでね」と気遣ってくれる小中高大ゼミまで一緒の親友。

「やることいっぱいやな」と忙しさに共感しつつ、「さすがやな」とやる気を出す言葉かけをしてくださる先生。

常に、感謝の気持ちをもって生きていきたい。

 

さて、あと授業1コマを終えると、大学生活最後の夏休みがやってくる。

教採の二次試験、卒論、ゼミ、教育実習、学会など、すでに予定はたくさん埋まっている。

しかし、せっかくならば、友人や後輩との時間も楽しみたい。

〈やらなければならないこと〉と〈やりたいこと〉のバランスをうまく調整する力が、今の私には必要であるようだ。

ここ数日、周りの人たちの優しさに助けられている

先日、体調を崩しているという〈つぶやき〉

shinchansensei.hatenablog.com

を書いたが、順調に回復している。

 

さて、体調不良になると、大学の講義を欠席することになる。

偶然にも、欠席することになった講義はお気に入りの講義であったため、体調管理と快復を最優先にすべきであるとは理解しつつも、すごく落ち込んでしまった数日前が懐かしい。

どれくらいお気に入りの講義であるかというと、友人に「電話をつないで講義の内容を聞かせてくれないか」とお願いするほど、私はその講義に対する熱量が異常である。

ちなみに、そのお願いLINEは講義終了後まで、気づかれることはないのだが…。

 

そんなこんなで落ち込んでいた私に、講義終了後、その講義を受講している後輩くんから一通のLINEが届いた。

 

「お疲れ様です!体調大丈夫ですか?みんな心配してましたよ(絵文字)」

 

なんという優しさ!!!なんという気遣い!!!

 

彼の他にも、体調を気遣い連絡をしてくださった方、講義内容のメモを共有してくださった方、たくさんの方々に感謝の気持ちでいっぱいである。

 

私はやはり、周りの人に恵まれている。周りの人に助けられている。

みなさま、いつもありがとう。

 

私は誰かにとって、〈そのような〉存在でいられているだろうか。

体調を崩している中、家族のありがたみを実感した

数日前から、体調を崩している。

 

数日前から、サラサラとした鼻水が止まらない。

持病であるアレルギー性鼻炎の症状が出てしまったかと思っていた。

 

しかし、体温を測ってみると、37.1℃の微熱。

アレルギー性鼻炎ではなく、風邪をひいてしまったようだ。

 

蛇足であるが、私は高校時代、3年間皆勤というほど、風邪とは無縁の健康体であったが、大学生になってから、体調を崩しがちになってしまった。

 

少し頭痛も生じてきたため、昨日から大学の講義を休み、一日のほとんどを睡眠にあてて過ごしている。

 

本日、母から「今日は、○○(しんちゃん先生)の高校のときのボランティア活動を褒められたらしいよ」とLINEがきた。

「誰がどういう話の流れでよ?笑」と聞き返すと、母から着信。

 

電話をとると、母ではなく妹の声が返ってきた。

高校に通う妹曰く、私も所属していたボランティア団体の方が、私の高校時代の活動を取り上げてくださったらしい。

妹は、兄である私のことが良い意味で取り上げられたことが、鼻高々だったらしい。

 

高校時代の思い出に浸っていると、

突然妹が、「すごい鼻声じゃん!」と一言。

それを聞いていた中学生の妹が、電話の向こう側で、

「やば!」「インフルじゃん!」などとまくし立てる。

「△△(中学生の妹)と電話したから、インフルが移ったんだよ!」と一言。

「体調には気をつけなさいね」「父ちゃんと△△もインフルになったから」と母。

 

一人暮らし4年目になるが、やはり風邪をひき、弱ってしまうと、

一人での時間が寂しく、心細い。

今日の夜も、一人寂しく過ごすことになりそうだと思っていたら、偶然にも家族と電話をする機会が生じた。

心配をかけまいと、元気な声色を装ったつもりであったが、鼻声や少し無理している声色に気づかれた。

家族ならではのユーモアな言葉がけ。

素直に体調を気遣う言葉がけ。

心からありがたかったし、家族のありがたみを改めて感じた。

 

実家にいた頃は、気づくことができなかった、そのありがたい「当たり前」。

今の私の身近にあるありがたい「当たり前」は、なんであろうか。

その「当たり前」を「当たり前」と捉え、そのありがたみを搾取するだけではなく、「ありがとう」という感謝の言葉や行動で返していきたい。

 

そのためにも、まずは体調の回復に全力をささげよう。

従姉と一緒に、焼肉とスタバへ行ってきた

久しぶりに2歳年上の従姉に会って、焼肉を食べに行ってきた。

焼肉を食べた後は、スタバで抹茶ティーラテをご馳走になった。

 

卒業論文研究や教員採用試験の対策などに追われて過ごしてきた私にとって、3か月ぶりの従姉との時間は、美味しいご飯と楽しい話をお供に、ゆっくりと時間を過ごすストレスフリーな時間という意味で、この上ないありがたいものとなった。

 

従姉は、私にとって姉のような存在であり、ただ隣にいてくれるだけでありがたい。

私の人生を振り返ってみると、「従姉のおかげで」ということばかりである。

 

今度は、いつ、従姉との時間をとることができるだろうか。

ブログを始めた

はじめまして、「とある大学」の教育学部に通う「とある大学生」です。

4月から「とある自治体」の公立小学校の教員になる「はず」です。

 

このたび、ブログを始めることにしました。

日々の出来事や想いを記録するための非常に簡易的なものです。

 

これまでは、面識のある友人のみを受け入れたTwitterの非公開アカウント(鍵アカウント)において、日々のつぶやきを記録してきました。

それらの多くは、自身の教育に関する出来事や想いでした。

悩みや苦しみ、嬉しさや喜び、葛藤や不安、…。

 

それらの出来事や想いを、面識のある友人らと共有し、語り合うことは、非常に価値あるものだと経験を通して実感してきました。

 

しかし、せっかくならば、面識のある友人に限らずに、私のブログを通して出会うことができた方々と共有し、語り合い、価値のある〈何か〉をともに見いだすことができたら…と唐突に思い、生まれて初めてのブログ開設・記事作成に至っております。

 

さて、

これから私は、どんなブログ人生を歩むのでしょうか。

これから私は、「しんちゃん先生」として、どのように生きていくのでしょうか。

 

みなさま、お付き合い、どうぞよろしくお願いいたします。